武庫川女子大学
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武庫川学院誕生のエピソード

武庫川学院誕生のエピソード写真01

「…公立学校は、所詮レディーメードの教育にすぎない」。若くして兵庫県教育界の中枢にあった本学の創設者・公江喜市郎は、嘱望されていた官界を捨て、多難な私学経営の道に進みました。「この後の半生を投ずる道は、私学教育をおいてはほかにないとイギリスの教育を見て感じた」と、その決意を語っています。

 


弱冠29歳で兵庫県視学となった公江喜市郎は、首席視学であった34歳のときに、官命で外国の教育事情視察のため欧米への旅に出ます。1931年5月、日本郵船の花形客船「白山丸」で神戸港から旅立ちました。この旅が、いわば武庫川女子大学のルーツ、原点ともなったのです。
「理想の私学経営」とも、「異常の興味を覚えた」ともいうイギリスでの体験、ことにイートン・スクールや、ケンブリッジ、オックスフォードの両大学での見聞が、彼の生涯を一変させてしまうほど鮮烈なものであったといえます。多感な10代に寄宿舎生活で自主自立の全人教育を受ける、その少年たちの自覚ある紳士としての振る舞いに深い感銘を受けたことを、のちのち、事あるごとに語っています。そして、レディーメードではない教育を求めて官を辞し、ほとんど徒手空挙で私学経営に着手します。それも、遅れている女子の教育において理想を実現するという、より困難な道を選びました。

 

そこには1つのモデルがありました。手に負えないわんぱく者だった喜市郎少年を、厳しくしつけ、人間としての生き方を身を持って教えた母・のぶのイメージです。「女性は男性と同様、否、男性以上に優れていなければならない」。 当時一般的であった単なる花嫁学校という女子校のイメージを越えて、自立した、社会に役立つ有能な女性の育成が目的でした。男女機会均等が当たり前の現代では何の不思議もない考え方ですが、女は家庭の中というのが普通の時代に、女性の社会進出を積極的に支援しようとする先進的な思想でした。
そして、1939年に武庫川学院を創設、同年には武庫川高等女学校が開校。知性・情操・徳性を兼ね備えた女性を育てる武庫川女子大学の礎が築かれました。
しかし、道は必ずしも平坦ではありませんでした。郷里の父母の土地を担保にようやく年を越す資金を用意した、というような苦難の連続を乗り越え、やっと安定した日々を迎えた1945年、戦火のために校舎の大半が焼失しました。
創設時代にもました苦難をしのぎ、昭和天皇の行幸をこころの励みとして復興は進み、1949年、新学制のもと、武庫川女子大学が誕生しました。
いま、わが国最大規模の女子総合大学として1万人を超す女性たちがここに学んでいます。




 

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